生きてますよここ東海岸

沖縄で田舎暮らしをする若者の非日常会話

【奇跡の学校】グリーンスクールってどんな学校?ツアーに行ってきました!

今更ですが、2017年に、4月、7月とグリーンスクールに行って来ました。

 

そのグリーンスクールって、一体どんなところ?グリーンスクールについてまとめます!

 

グリーンスクール基礎情報

グリーンスクールは、2008年9月に開校しました。当時は生徒数約90名。現在の生徒数は400名にもなります。(グリーンスクールホームページより引用しています)

創立者であるジョン・ハーディーは、バリで起業し、大成功していましたが、ある日、アル・ゴアの「不都合の真実」を見て、グリーンスクールを創るインスピレーションを得たそうです。

グリーンスクールの軸となる考え方は、”持続可能性”。教育の在り方や授業の内容も全てそれに準じています。

地元の生徒と海外の生徒の割合

圧倒的に海外の生徒の数の方が多かったです。具体的な数字は分からないですが、生徒の20%をバリ出身の子供たちに、そして、その子たちを授業料全額免除の奨学金でグリーンスクールに通わせることが出来るのが目標だそうです。

では、気になる授業料。

ざっくりと、入学金が一人目の子供で42万円

一年生の年間授業料は150万円

高校3年生になると授業料は上がり、200万円

二学期制になっていて、一学期だけ通わせることも可能で、その場合、年間授業料の半分よりちょっと高いぐらい。

 

学費もそこそこする、奇跡の学校といわれるグリーンスクール。そのグリーンスクールと、隣接するオーガニックガーデン、クルクルファームのツアーに参加してきたので、その内容をパパっとまとめてみたいと思います。

 

グリーンスクールのツアー

まず、受付を済ませた後、竹で出来たツアー者のネックレスが配布され、ごみを減らすためのプロジェクト(確か、Kembali(=インドネシア語で、再びという意味)というプロジェクト名)の説明を受けました。グリーンスクールでは、ゴミを本当に細かく分別し、再利用します。ゴミを「ゴミ」としての認識はせずに、「資源」として認識する。このゴミステーションは、生徒、学校の先生やスタッフ、親も利用出来て、何か制作物を作りたいとき、みんなまずはここに来て材料を探すそうです。

ここで、「グリーンスクール」と「ゴミ」と言えば!Bye Bye Plastic Bagsの活動で有名なあの姉妹も、グリーンスクール出身です。彼女たちのTEDプレゼンがこちらです。確か、当時彼女たちは12歳と14歳だったと思います。2016年のTEDです。


Our campaign to ban plastic bags in Bali | Melati and Isabel Wijsen

 

そして次、次に見せてくれたのが、大きな竹の建造物。ここで、生徒たちは、自分のプロジェクトのプレゼンテーションをしたり、音楽の発表会をしたりするそうです。壁がない。感動しました。

 

次が、親御さんのための小さなお店。隣接するクルクルファームで採れたものを使ったり、なるべく健康的なおやつが提供されます。子供たちを学校へ送迎した親御さんは、こちらで交流します。グリーンスクールでは、親が子供の教育に積極的になることを目指しており、学校に送ったらバイバイ、ではなく、学校に送って後も学校に残れるように、このような仕組みを作ったそうです。親御さんが授業をすることもあると言ってました。

 

次に、バイオバス。グリーンスクールは、森のど真ん中にあり、ほとんどの生徒が遠方から車で来るしかありません。そこで、その問題を解決するべく、卒業生たちが立ち上がりました。スクールバスです。ここもグリーンスクールならではで、ただのスクールバスではなく、 バイオディーゼルといい、廃油から燃料を作り、その燃料で稼働するバスで、めちゃくちゃエコなスクールバルを作るというプロジェクト。グリーンスクール先生と一緒に取り組み、今ではグリーンスクールのスクールバス全部がバイオバス。ビジネス化もしているそうです。

 

そしてさらに奥の方の校舎へと案内されました。

 

まず紹介してくれたのが、高校の校舎。やはり、壁がない。また、たまたま何かの実験で失敗したシーンに居合わせ、何かの液体の掃除をしてました…。

 

フロアは土を固めて作り、寄付された竹にはそれぞれ、寄付した方の名前が刻まれていました。ランチは、お皿の代わりに竹のかご?らしきものにバナナの葉っぱを乗せて、そのバナナの葉っぱは回収。そしてゴミ箱も、残飯、燃えるゴミ、プラスチックと、ちゃんと分けられていました。なんと、グリーンスクールでは、トイレは水洗ではなく、コンポストトイレで、排泄物も土に換えます。従来に人間の暮らし方そのもの。

 

次に紹介されたのは、ニワトリ小屋。でも、ただのニワトリ小屋ではありませんでした。

 

このように、あらゆる場所に仕掛けが隠れているグリーンスクール。前半はここまでにして、後半は3月31日の報告会のあとにでも書きたいと思います!

 

3月31日は報告会

北谷にて、報告会を開催します!参加費500円と、激安!ぜひお越しください!

 奇跡の学校、グリーンスクール報告会 in 北谷【定員8名!】

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資本主義とのんびり主義の狭間で

りなです。

 

最近よく、“プロフェッショナル”について考える。そして、「凄い人」というワードに敏感。

 

人生の中で譲れない軸であり、大切にしたいことが3つあって、

・家族

・世界平和

・自然

 

そしてその基盤の上でさらに大切にしたいのが、

・経済的余裕

・時間的余裕

・健康的余裕

・精神的余裕

の4つになる。降順で資本主義的思考→のんびり主義的思考になるのだろうか。

 

私はどちらかというと、資本主義タイプだと思う。

 

その資本主義タイプの、仕事バリバリフリーランスで活動していた私が、集落暮らしを始めたとき、「満たされる感」を感じなかった。でも、幸せで、この暮らしは譲れない。この暮らしを心から愛しているはず。なのに、満たされている感がない。そのポッカリ空いた穴はなんなのか。数ヶ月前からいっぱい考えている。

 

好きなことが思いっきり出来ていない。

 

答えはそれだと確信している。だとしたら好きなこととはなんなのか。その繰り返しの思考の中、3月8日。ぼやぼやしたまま、24歳の誕生日を迎える。

 

久しぶりにお父さんと話した。私の悩みに対するお父さんがくれた言葉は、「あんたは頭がいい。だから出来る。政治やりたいんだったらやればいい。不動産やりたいんだったらやればいい。塾を経営したいならやればいい。何かやれば、出来る」

 

“お父さん”という重要なポジションの人、世界で一番嫌いで一番好きで一番尊敬している人からの「出来る」はデカイ。

 

そして最近の必然的偶然な出会いにも刺激され、気づいた。資本主義とのんびり主義を行き来し、時間と労力を費やしていた自分がいた。どっちかでなければいけない、どっちかを極めないとダメ、そういう概念にとらわれ、行き来していた。

 

中間をいけばいい。

 

資本主義でもなければ、のんびり主義でもない、ちょうど真ん中の、のんびり資本主義をいけばいい。

 

資本主義の顔。のんびり主義の顔。

 

両方持ってて両方OK。

 

それがストンと腑に落ちた途端、やっぱり人にも地球にも優しい食づくりをしたいし、世界平和に繋がる活動もしたいし、教育にも力を入れたい。

 

小学校のころから変わってない。自給自足、学校、世界平和。小学生の頃から思っていたこと。

 

あぁ、なんてちっぽけな人間なんだ…。

 

それだから、畑もいっぱいするし、塾でのお仕事や英会話のワークショップ、その他食や教育関連のこともどんどんしていきたい。

 

今月は、

3/24(土) 田植え

3/31(土) グリーンスクール報告会、英会話カフェ

 

でイベント/ワークショップをやっていく。

 

現在ゆるゆると随時やっているのが

・畑ヘルプ⇄英会話 の交換っこ

・HAPPY200(古着を200円で売ってその売り上げの30%を活動費、70%を物資を海外に送る送料にあてる)

 

の2つだけど、これも近々どこかでこの日!と分かるようなイベントにもしたいなーなんて考えたり。

 

どんなプロフェッショナルになれるかは分からないけど、目指さなくてもやっていればなれると思うけど、自分なりのプロフェッショナルを極めたいなーと思いました。

 

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畑、昨日はここまで出来た。今日は、畝を作って、ローゼルを植えた(^^)

 

教えてください、やんばるの神さま。2

りなです。

前回の記事、

 

imadokihatake.hatenablog.com

 

 

の続きです。

 

とりあえず、畑について嬉しさのあまり、涙が出そうでした。

 

なんと、1/5ぐらい。耕されていた。機械を使われていたけど、きっと、隣の畑の農家であり、近所に住む何でも出来るおじーだ。

 

「耕している」と言う時点で自然農法にはならないらしいが、無肥料・無農薬、無除草剤にはとことんこだわりたい。

 

とりあえず道を作る。直感でそう感じたので、道作りに取りかかる。道にならなくても、横畝、たて畝、どっちでも大丈夫なように中間を選んで作業開始。

 

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始めた途端に途方のなさに気づく。畝一つは作りたかったけど、道、終わるかなぁ。不安に思えて来た。

 

スコップで、手作業で、土の状態などを見ながら一人で、ススキと山に囲まれながらただただ、道作りをしていた。近所の農家さんが来て、「お前らまたやってるのか笑」と茶化しに来ないかなーとか思っていた。どちらかと言うと、茶化しに来て欲しかった。微力ではあるけど、限りなく無力に近い状態だ。

 

ふと、去年ニートになる前の私を思い出した。あの頃と今って何が違うんだろう。めっちゃ仕事してめっちゃ活発で活動的だった自分。どうやってここにたどり着いんだんだろう。

 

前を見る。まだまだゴールは遠い。

 

腹筋が少しづつ痛くなってくる。いい運動だ!と思いながら、誰か、来ないかな。手作業で、スコップでこんな途方もないアホなことやってる、小娘を笑ってくれる近所の農家さんは来ないだろうか…。

 

そうこうしていると、一台の軽トラが戻ってきた。

誰だろう?

 

「お産休取ってたのかい?」

 

冗談交じりにニコニコと声をかけてくれたのは、あの記事にも出てきた、キンジョーさんだ。

 

その伝説の記事がこちら。

 

imadokihatake.hatenablog.com

 

 

 

キンジョーさんの最初の一言にまた涙が出そうだった。

 

「あんた見えないと寂しいよ、どこ行ってたの?」

 

うわーーーー。キンジョーさん…。

 

それから笑われること大前提に今やっていることを説明すると、「今だよ、今。沖縄は、今やらないと。自分だったら全部、今やるなー。」

 

笑われなかった。キンジョーさんは出来る方法を教えてくれた。自信なく話す私に、

 

「まずは自給用。自分たちが食べたいものをまずやるんだよ。」

 

淡々と、色んな“出来る方法”をガイドしてくれているようだった。キンジョーさんは隣でうっちんをやっているので、明日の朝ちょっとお手伝いに行くとだけ約束し、畑に戻った。

 

「おーい!コーヒーもらうかー!」

 

キンジョーさんからコーヒーをもらった。この、近所の農家さんからの“コーヒー”に救われたのは二度目。

 

でもそんなに浸っている時間はない。作業に移る。色々と考える。全然進んでいるように思えなかった。それでも、遠いゴールを目指して、10cmずつ、10cmずつ、道を作っていく。腕が悲鳴をあげる。腹筋が痛い。手に豆が出来そうだ。

 

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いつ終わるの…。。。

 

でも、ふと後ろを振り返ると、確かに、進んでいた。

 

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結構、進んでいた。人生って、こんなもんかもしれない。その場にいるときは自分の成長は感じない。本当に、進んでいるの?本当に。意味あるの…?

 

だが、確実に進んでいる。塵も積もれば山となる、まさにそういう気分だった。

 

やっと、最後が見えてきた。それと同時にススキの根っこが大量にやってきた。腕が限界にきていたので太ももを使うが、足も結構プルプルする。腹筋も痛い。手も痛い。でも、それでも、進まなきゃ。

 

畝、一つは作りたい…!!!

 

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無理だった。筋力の限界ってやつ。気力で頑張ろうとしたけど、筋力がついていかなかった。スコップが持ち上がらない。スタミナは全然大丈夫だったが、筋力が…。

 

道の最後の50cmぐらいの部分は出来なかったけど、最後に枯れたススキを敷いて、今日の仕事を終えた。

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ふぅー。一人で1時間やってこれか…。しかもこの筋力だと30分につき休憩15分入れないと、半日ももたない。

 

まだまだだ。

 

そう思いつつも、ここまで出来た自分を褒める。ちょっとしか進まなかったけど、進歩。これで、畑の姿がちょっとずつ、見えてきた。

 

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教えてください、やんばるの神さま。

りなです!

 

今日は、勤務先の学校が中学生の卒業式だった。小学生の頃から、式は好きじゃない。座ってるだけでとても退屈。

 

でも今日は初めて「素敵だな〜」と思えた。

 

式が進み、色んな方が祝辞を読み上げる。内容は中々頭に入って来ないが、自分自身の中学校の卒業式にタイムスリップしていた。私が中学校の卒業式で感じたこと。それは、

 

「あー、私はやっと9年間の“義務教育”と言う名の国民としての義務を果たした。やっと終わりだ」

 

それから9年後。まさか、ここ、名護市で“職員”の立場として中学の卒業式を見届けるとは思ってもみなかった。

 

9年間の義務教育。小一〜中三までの期間と同じ期間を、中学を卒業してから過ごしている。

 

自分は成長しているのだろうか。そういうことばかりを考えていた。中学を卒業してから過ごしてきた9年間。とても濃ゆくて、とても波乱万丈で、方向性も定かではなく、自由だった。

 

それでもなお定職についてない。だし、自分が極めたい分野も「私はそれです!」というのも決まってない。私が過ごしてきた9年間は無意味なのだろうか。今までの9年間は、意味はあったのだろうか。昨日、実家に行って父親とも話してた。

 

「もう24歳なのにやりたい仕事、伸ばしたい能力がなく仕事を転々と変えてるのはちょっと、将来考えた方がいいよ。」

 

そんなの知ってる。知ってる上での行動を取っている。それでも、自信はなくなる。今やっていることが世の中の流れとは逆向きだから、怖い。今まではなとなくその通り同じ流れだった。会社の社長さんと食事に行ったり、セミナーやワークショップに顔を出したり。それが悪いことではないれど、その裏で起こっていることを知らずに過ごし、それを知ってしまった今、前のように偏った生活が出来なくなった。金持ちになりたいわけではいけど、小金持ちにはなりたい。月収50万は確実に欲しい。そうするとやりたいことが出来る。

 

でもその50万円は、持続可能の50万円でありたい。最後の最後までとことんこだわって50万円を稼ぎたい。

 

そんなことを考えながら式は進み、一番好きな「歌」を歌い終え、卒業式は無事終了した。

 

すると、近くの机の先生から、

 

「りな先生、テニスやる?」

 

と。これもまたなん年ぶりだと思いながら誘いに乗り、2、3年ぶりのテニス。コートはデコボコでボールはまともに跳ねない。私のラケットのグリップはボロボロで、スレて手に豆が出来て痛い。

 

それ以上に楽しかった。だから1時間ぐらい続けられた。意外にサーブも打てて、ショットも普通に入る。

 

楽しいテニスを終え、家に戻るなり、「私は多分、空が明るい時に活動したくて、夜はゆっくりしたいんだろうな〜」と思った瞬間。

 

畑に行きたい!畑に行こう。

 

畑に、行こう。耕そう。ちょっとだけど、微力だけど、無力ではない。スコップを持って、約1000坪の畑に向かった。

 

そこで見た光景に、涙が出そうだった。

 

教えてください、やんばるの神さま。私の歩んでいる道は、これでいいのですか?

 

ブログがちょっと長すぎる気がするので、続きは、「教えてください、やんばるの神さま。2」を書きたいと思います。

 

また後ほど。

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いくら頑張っても自然には逆らえない

3/3(土)、読谷で塾のバイト。普通に楽しい!

 

行くまではちょっとしんどいけど、着いたら楽しい。なんだろう、何が楽しいか分からないけど楽しい。

 

最近は子供達の英語力が伸びてるのが実感できる。普通に嬉しい(^^)

 

まあ、前置きはいいとして。

 

土曜日は雨が凄かった。前が見えないほどだった。大浦では「うわー雨だ〜」という感じだったが、中部に行けば行くほどヒドイ。

 

そして帰り。

 

金武町を通っていた時に、この前まで田植えほやほやだった田んぼが、

 

冠水。

 

(あっちゃー、、、大変なってる。めっちゃ可愛そう…。)

 

ーと思っていたが、3秒後。何か大切なことを思い出した。

 

うちらも田んぼやってるじゃん!

 

嘉陽の田んぼ経験者のあのさんに連絡。

 

私「あのさん、嘉陽の田んぼって洪水しますか?」

 

あ「場合によっては冠水する!」

 

やべぇ。

月〜金まで学校の仕事。金曜日はそのあとすぐに別で仕事。その流れで土曜日は塾。帰ってちょっと休憩して近所のお店の三周年イベントのお手伝いをする予定だったが、

 

田んぼに行くしかない。

 

私「金武町の田んぼ、冠水してました。これから田んぼチェックしてきます。」

 

自然には、逆らえない。自然が晴れたいと思ったら晴れるし、嵐にしたいと思ったら嵐になる。そんな中で私たちはお米を育てている。

 

そんな中で、私たちは暮らしている。そんな中で自然栽培をこれから始める。

 

人間は色んなものをコントロールしたがる。従業員、パートナー、会社、子供、食べ物、生き物、色んなものをコントロールしたがる。自然もコントロールしたいと思っているが、

 

自然は多分、コントロール出来ない。コントロールしたように見えてもどこかで必ず返ってくる。論理抜きでとてもバランス良く出来ているから、人間が少しいじってしまうと、どこかでバランスが崩れて支障が出る。そして支障を出すことによって、バランスを保つ。

 

そんなこんな考えながら田んぼに着いた。着いた瞬間だった。

 

雨が上がった。

 

すごいなーと思いながら田んぼに向かうと、冠水していなかった。最大の危機は免れたが、苗床を確認しに行くと、苗床は冠水していた。

 

応急処置のスタート。田んぼの水の調整はしたことがなかったけど、直感に従った。

 

まずは、入ってくる水を止める。

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これで一旦水は入らなくなるので、出て行くだけだ。次は、出て行く水を増やすために、出口を増やす。水の出口を探すところから始めた。

 

あった。水管がT字になっているが、上に上がっていて水が出てない。

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出口が一箇所から二箇所になった。これで応急処置は終わろうと思ったが、別あらゆる入り口、あらゆる出口を探した。結局無かったので、そのまま、水の出る量を多くして終わった。

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これでどんどん水が抜けていき、苗床も浸水を免れたころ。

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入ってくる水を止めたままだと、別の所で冠水してしまうのと、抜けすぎてカラカラになってもダメなので、せき止めていた水の入り口 を再度オープンし、一時大量に水が入って来たが、難なく流れ、安定。

 

ちょっとダメージはあったものの、80%は守ることが出来た。

 

いくら頑張っても自然には逆らえない。でも、自然と共存しながら知恵を活かすことは出来ると思った。

 

コンクリートで埋めるとか、山を削るとか、防波堤を作るとか、それも一つの知恵だが、そういうことじゃなくて、自然と共存しながら知恵を絞ること大切だと思った。これからもそういう実践をどんどんしていきたい。

 

帰り、太陽が出てきて見せた景色は地球が「お疲れ様」と言っているようだった。

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そして大浦に帰ると、大雨からの湿気?でめっちゃ綺麗な霧が家の前に。

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そして今朝は天国。

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自然は、時には猛威を振るうが、時には、美しさで包んでくれる。

 

今日は久しぶりの休日だった。確定申告をパパッと終わらせたら、なんと、最後の最後、年末調整を紛失しているじゃないか。

 

田植えのイベントは、3/10→3/24(土)になりました!現在の参加者11名のうち9名が海外の方です!インターナショナルになるのは間違いなし。

↓イベントページです

https://www.facebook.com/events/1326143520820780/

 

 

生きるって楽しい。の、「生きる」って

今日はりなです(^^)

 

人口100名の集落に移り住んでからここ最近。考えることがある。考えと同時に、悩みでもある。結局は両方つき詰めるんだろうけど今は悩んでいる。

 

生きるって楽しい!

 

の“生きる”の部分だ。

本来、人間ないし全ての生きものの“生きる”は、生存し、子孫を残すための活動を“生きる”と言っていたはずだ。現代のよくある「やりたいことをやろう!」「好きなことをやって生きよう!」「好きなことを仕事にしよう!」の“生きる”ではなかったと思う。でも、時代は変わり、人間は、生存活動のために必要な最低限の衣食住を確保することを学んだ。そして人々は便利さを求め、試行錯誤を繰り返し、次第に現代の資本主義社会になっていった。そこで今までの自然の秩序が崩れ、人口爆発したのではないか。

 

資本主義が悪いことではないということを前述しておきたい。それを踏まえて読み続けてもらえたら幸いです。

 

社会学者でもなければ経済学者でもなく、歴史学者でもないので専門的な知識は一切ないが、従来、最も大切であるべきはずの「生存活動」に、あまり価値を見出せていない世の中になってしまっているのではないかと感じてしまう。

 

その理由が、まず、価格に現れていると思う。住まいはちょっと例外だが、食も衣類も、安いものを選びがちである。そして、謎に、大量生産、大量消費である。そもそも食とは“命”であり、私たちは生命活動を維持するために別の生命を頂いている。野菜にしてもお肉にしても同じだ。命があるものとは呼吸するものであると定義するのであれば、植物も呼吸をするので命になるのではないか。

 

だが、その“安さ”の裏には様々な事情がある。食の場合、スーパーに並ぶには、規定がある。ある一定の大きさがないとダメだ。そのためには、色んな化学成分が入った肥料はもちろん、タネをちょっとだけいじって、形のいいものが出来やすいタネにする。それをF1というが、次世代が残りにくいそうだ。子どもが出来にくいタネなのだ。不妊が多くなっている理由が納得できる。また、安い野菜は大量栽培しないと経済的に元が取れない。虫に食べられては人に好かれないので、農薬を使う。日本の農薬の基準はヒドイ。アメリカでも使っていない農薬をOKと言っている。卵に関してはもう何も言えない。通常10年ほど生きるはずの雌鶏たちは、1、2年で卵を産めなくなる環境にいる。身動きも出来ないケージで過ごし、卵を産めなくなったら、要は、人間にとって不必要になったら殺される。人間で例えれば、赤ちゃん〜子供が産める15歳ぐらいまで育てられそこから身動きが出来ないケージに一生入れられひたすら子供を産むという具合だろうか。動物の扱いは語れるものじゃない。言い方は厳しいが、私たちは、本来、生命活動を続けるために命を頂いていたはずだが、今は生命活動のために“商品”を頂いている。

 

食はこれぐらいに。

 

衣類。あまり詳しくないが、安い洋服は原価はもっと安い。そしたらどうやって作るのか。食品と同じようなことが言えるのではないか。素材を安くする。自然から産まれる素材ではなく、もともとないものを使う。それを縫い合わせる人の賃金もそんなに高くは出来ない。循環が見えてくるだろうか。

 

車。携帯。パソコン。テレビ。燃料。電気。

 

私たちが便利になる分、絶対に誰かが苦しんでいる。必ず地球は傷ついていく。それを気づくことなしに、また、気づいててもその生活を続けながら「生きるって楽しい!」と言えるのだろうか。

 

本来の“生きる”の意味を見失ってでは、「生きるって楽しい!」は成立するのだろうか。

 

Wifiが通っているお家に住んでいる。少し運転すればコンビニやスーパーがある。売店もある。お家には電気水道ガスが通ってる。そういう場所に住んでいるが、海、山、川に囲まれ、自分たちで食を作ってみたり、ちょっとだけ、本来の“生きる”を体感できる場所にいる。

 

“生きる”厳しさ、“生きる”大変さ。それさえをも「楽しい!」と思えるように、そして、本来の生命活動や生存活動を忘れずに、その上で自分の「好きなこと」をして生きていける人間になりたい。

 

わたしにも、あなたにも、地球にも優しい人間になりたい。

 

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マイビューティフルガーデン

ワカゲノイタリ村のオススメのスポットを紹介します。  

 

村には色んな人が頻繁に出入りするが、ガーデンに立ち入る人はほとんどいない。

 

まあネットで囲っているから、入りづらいていうのと、雑草畑に見えるからなのか、皆あまり畑に興味がないのか、畑に見えないのか、、、

 

とりまこんな感じ


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自分でやっといてなんだけど、自分でも一体何が育っているのか全くわからない。

 

何十種類もの種を混ぜてばら蒔いた結果。

 

これには僕なりの理由がいくつかある。

 

1.何がこの土地で育つのかの実験

 

2.多種多様であればあるほど、土の中の微生物が増えて土が豊かになるんじゃないか

 

3.見てて楽しい

 

3は特に重要。一つだけの作物いわゆる単一栽培だと、昔やっていた工場の仕事を思い出してしまう。

 

ベルトコンベアにのってやってくる厚焼き玉子を、ひたすらゴミがついてないか確認する作業。

 

無機質な機快音が鳴り響いている中、誰ともコミュニケーションを取ることができないため、軽い鬱になってしまった。

 

いまだに目が死んでるのはその後遺症が残ってるせいかもしれない。

 

だから、疲れてしまったり無気力になってる時はこのガーデンで治療をする。

 

食べる用というより、治療のためのガーデンかもしれない。

 

多種多様な植物のおかげで、かなりの微生物がいると思われるガーデン。

 

僕はそこで寝るのが大好きだ。

 

今日もバイト終わりにエネルギーを自給した。


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 畝間にクローバーを植えてるから、クローバーがベッドになりとても気持ちいい。

 

これはかなりのオススメ。

 

草ボーボーだから風にも当たらないし。

 

そんで今日は、エネルギー充電してからマタマタ農園に行ってきた。

 

そこでは、アースバックという建物を造っていた。

 


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 土嚢袋に土や砂利などをパンパンに詰めて、それを積んでいくとこういう風になる。 

 

確かイスラエルとかその辺がシェルターとして作ってたのが発祥とかなんとか。

 

アースバック名人のアキラさん、ソーラーwsで講師をしてくれたアーリーさんやモーリーさんなどイケてる大人たちが主導で造ってました。

 

やっぱアースバッグいいなー、作りたいなー

 

モチベーション上がったので、僕も家を更にグレードアップしていきたいと思います。


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