生きてますよここ東海岸

沖縄で田舎暮らしをする若者の非日常会話

生きるって楽しい。の、「生きる」って

今日はりなです(^^)

 

人口100名の集落に移り住んでからここ最近。考えることがある。考えと同時に、悩みでもある。結局は両方つき詰めるんだろうけど今は悩んでいる。

 

生きるって楽しい!

 

の“生きる”の部分だ。

本来、人間ないし全ての生きものの“生きる”は、生存し、子孫を残すための活動を“生きる”と言っていたはずだ。現代のよくある「やりたいことをやろう!」「好きなことをやって生きよう!」「好きなことを仕事にしよう!」の“生きる”ではなかったと思う。でも、時代は変わり、人間は、生存活動のために必要な最低限の衣食住を確保することを学んだ。そして人々は便利さを求め、試行錯誤を繰り返し、次第に現代の資本主義社会になっていった。そこで今までの自然の秩序が崩れ、人口爆発したのではないか。

 

資本主義が悪いことではないということを前述しておきたい。それを踏まえて読み続けてもらえたら幸いです。

 

社会学者でもなければ経済学者でもなく、歴史学者でもないので専門的な知識は一切ないが、従来、最も大切であるべきはずの「生存活動」に、あまり価値を見出せていない世の中になってしまっているのではないかと感じてしまう。

 

その理由が、まず、価格に現れていると思う。住まいはちょっと例外だが、食も衣類も、安いものを選びがちである。そして、謎に、大量生産、大量消費である。そもそも食とは“命”であり、私たちは生命活動を維持するために別の生命を頂いている。野菜にしてもお肉にしても同じだ。命があるものとは呼吸するものであると定義するのであれば、植物も呼吸をするので命になるのではないか。

 

だが、その“安さ”の裏には様々な事情がある。食の場合、スーパーに並ぶには、規定がある。ある一定の大きさがないとダメだ。そのためには、色んな化学成分が入った肥料はもちろん、タネをちょっとだけいじって、形のいいものが出来やすいタネにする。それをF1というが、次世代が残りにくいそうだ。子どもが出来にくいタネなのだ。不妊が多くなっている理由が納得できる。また、安い野菜は大量栽培しないと経済的に元が取れない。虫に食べられては人に好かれないので、農薬を使う。日本の農薬の基準はヒドイ。アメリカでも使っていない農薬をOKと言っている。卵に関してはもう何も言えない。通常10年ほど生きるはずの雌鶏たちは、1、2年で卵を産めなくなる環境にいる。身動きも出来ないケージで過ごし、卵を産めなくなったら、要は、人間にとって不必要になったら殺される。人間で例えれば、赤ちゃん〜子供が産める15歳ぐらいまで育てられそこから身動きが出来ないケージに一生入れられひたすら子供を産むという具合だろうか。動物の扱いは語れるものじゃない。言い方は厳しいが、私たちは、本来、生命活動を続けるために命を頂いていたはずだが、今は生命活動のために“商品”を頂いている。

 

食はこれぐらいに。

 

衣類。あまり詳しくないが、安い洋服は原価はもっと安い。そしたらどうやって作るのか。食品と同じようなことが言えるのではないか。素材を安くする。自然から産まれる素材ではなく、もともとないものを使う。それを縫い合わせる人の賃金もそんなに高くは出来ない。循環が見えてくるだろうか。

 

車。携帯。パソコン。テレビ。燃料。電気。

 

私たちが便利になる分、絶対に誰かが苦しんでいる。必ず地球は傷ついていく。それを気づくことなしに、また、気づいててもその生活を続けながら「生きるって楽しい!」と言えるのだろうか。

 

本来の“生きる”の意味を見失ってでは、「生きるって楽しい!」は成立するのだろうか。

 

Wifiが通っているお家に住んでいる。少し運転すればコンビニやスーパーがある。売店もある。お家には電気水道ガスが通ってる。そういう場所に住んでいるが、海、山、川に囲まれ、自分たちで食を作ってみたり、ちょっとだけ、本来の“生きる”を体感できる場所にいる。

 

“生きる”厳しさ、“生きる”大変さ。それさえをも「楽しい!」と思えるように、そして、本来の生命活動や生存活動を忘れずに、その上で自分の「好きなこと」をして生きていける人間になりたい。

 

わたしにも、あなたにも、地球にも優しい人間になりたい。

 

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